骨董屋の種類さまざま 《店師 2》

1枚5000円の小売相場に上昇した伊万里焼の桃皿は、現在の小売相場では、どんなに売れても500円~1000円がいい所。

しかも売れたらである。たぶん、誰も買わない・・・・。
値段を付けるのは、その骨董品屋の自由裁量である。
いくら今の相場が500円でも、昔の一番高い時の相場の5000円を未だに付けている店師もいる。はっきり言って迷惑である。だってそれを見たお客さんは「このお皿、骨董品屋で5000円で売ってたわよ」って事になるから。

話を戻そう。前回の銀座の骨董屋(恐らく茶道具屋)に、誇り高きご先祖の(曾祖父)の持ち物を、ガラクタ呼ばわりされた事が悔しくて号泣し始めたお客さん。その悔しさを僕に延々と語ってくれた。僕は、慰めるしか無かった。

確かに、伊万里焼は相場が暴落していたが(中島誠之助さんの功罪だ)、けしてガラクタでは無い。そりゃ銀座のお茶道具屋さんから見たら、買取の対象からは外れるのかもしれないけど、品物としてはいいものだ。時代も明治中頃はある。傷だって無い。

結局、僕は、その蔵いっぱいの伊万里焼を、昔の相場に近い高額で買い取らせていただく事になった。
だって、その時僕の立場的に、暴落した今の相場価格は、提示できない。そんな事したら、ガラクタ呼ばわりした銀座の茶道具屋と同じ側にたってしまう。いわゆる『立ち塞がる固い壁と卵が有ったら、常に卵の方に寄り添いたい』ってヤツだ。

勿論、卵の僕は、粉々に割れて流れた。勿論、涙が滲んだ。
それでも、そのお客さんは、ずっと僕の事を覚えていてくれて、3年後に憲政会館に預けてあったご先祖の持ち物を、引き上げて僕に売ってくれた。
凄く嬉しかった。
当たり前だけど、この話は、単なるひとつのエピソードに過ぎない。

この話で、銀座や京橋の店師の事を判断する材料になる筈も無い。人格の優れた店師も沢山いると思う。
ただ茶道具商の店師の持って居る雰囲気の一端が伝わるエピソードではあるけど・・・。
(つづく)