骨董屋の種類さまざま 《店師 1》

骨董屋の種類に関して話そう。まず、店師と呼ばれる、店舗を構えて商売をしている骨董屋が居る。
場所は、東京なら青山の骨董通りか銀座もしくは、京橋の辺り。店舗はどこも比較的小さい。扱う品物は、基本的にはお茶道具と唐物(中国骨董)と書画である。

古伊万里なども江戸中期以前の上手の品物は扱うが、下手の品物は扱わない。因みに伊万里焼は、殆ど茶道具には使用しない。10年ほど前に、誰もが知っている歴史上の人物のお孫さんに呼ばれて、買取の査定にお伺いした事がある。

港区のど真ん中の豪邸だった。おとないを入れると、早速裏庭の土蔵に通された。立派なレンガ積みの土蔵である。

中には、伊万里の中程度の焼き物が蔵一杯に所蔵されていた。
「拝見します」と言って、箱を開け始めると、そのお客さん(女性)は、シクシクと泣き始めた。理由を聞くと、
「貴方を呼ぶ前に、銀座の骨董屋さんを呼んだんだけどね、この蔵の中の物なんて、買取の対象にならないって言うのよ。こんなガラクタ駄目だって」
お客さんは、そういい終わると、殆ど号泣し始めた。
確かに、その頃は伊万里焼の価格が暴落して、誰も買わない時期だった。

何故暴落したかと言うと、<なんでも鑑定団>で有名な中島誠之助さんが、それまで殆ど雑器扱いだった伊万里焼に光を当て、、主婦層を中心に一大ブームが巻き起こり、何でもない伊万里の桃皿(見込みに桃が描かれている、ごく一般的な伊万里の数モノ。数モノと言うのは、人寄せに使った20人前とか50人前とか揃いである容器の事。人間国宝級の作家の等軸などで本人作で無い工房作の量産品も数モノと言う事がある)が、一枚5000円にも相場が上昇した。骨董市でも業者の骨董市場でも、みんな「伊万里、伊万里」の大合唱だった。でも煽られたブームは、必ず弾けるものである。
(つづく)