《美術品の審美眼 第7回》

《美術品の審美眼 第7回》

陶芸・絵画・彫刻など殆どの美術品には偽物が制作されている。人気の高い作家、つまり良く売れる作家の作品は偽物の数も多くなる。しかしながら、例えば漆芸の人間国宝に関しては偽物は殆ど作られない無い。何故なら漆工芸の技術の難易度が極めて高いので、簡単には真似できないからえある。蒔絵は、10年以上修行してやっと端緒に付けると言われている位難しい技術だ。

つまり、偽物の多くは、作り易くてよく売れる物が多くなる。

例えば有名な魯山人の作品は偽物が多い。何故なら、魯山人の陶芸は、基本的には普段使いの雑器や料理屋で使われる食器だから、それらしい雰囲気の器は容易に作られるからである。

しかし、実際の魯山人の作品は、雑器と言えども力強い。他の焼き物には真似の出来ない、品格と命が宿っている、

 

魯山人は元々書家である。正確には書を書くのが好きで、養子先で小遣い銭欲しさに、当時流行っていた一文字書きの懸賞に応募したのが、魯山人の書歴のスタートである。

そののち篆刻家になる。篆刻とは判子を掘る工藝技術であるが、判子っと言っても、画家が作品の下端の名前の下に押す印章の事でそれ自体が一つの作品で、もし魯山人の彫った篆刻作品があったら一つ数百万から数千万円するものも有ると思う。

ところで、魯山人は、書に関しても陶芸に関しても正式に師について学んだ経験が無い。

とても器用な人だったみたいで、独学でなんでもやってのけたらしい。

先程も言ったが、その魯山人の陶芸作品に関して、沢山の贋作が残っている。もしかしたら、現在でも何処かの贋作工房で贋作は作られているかも知れない。

魯山人の作品には概ね《ロ》や《*》の印の陶印が押してあるか、或いは掻き文字で《魯山人》と刻んである。

《魯山人》の掻き文字が刻んである焼き物に関しては、贋物は比較的少ないが、《ロ》や《*》の陶印に関しては、簡単に真似できるので、贋物はこのどちらかの陶印である場合が殆どだ。

しかし、魯山人に関しては、贋物の見極め方は比較的簡単である。

箱書きや陶印などの側物も見分けやすいが、前述のようにその本体の作品自体が魯山人の真作しか放つことの出来ない鈍い光を放っているから。

魯山人の陶芸作品の持つ力は、玲和の今に至ってもそれに比肩する作家は現れないほど、魯山人の孤高の世界なのである。

しかし、たまに買取にお邪魔した先に、魯山人の贋作が山のようにある事がある。それは恐らく、最初から一度も真作を見ていないからだ。最初に真作を手にしていたなら、偽物との差は歴然として間違えようもない。

何事も最初が肝心である。

まだ骨董品の仕事を始めて間もない頃、魯山人の竹筒形の花活けを手に入れたことがある。それは、新潟のリサイクル屋さんの店の片隅に置かれていて、値段は5千円だった。

雰囲気のある箱だなぁと思って手に取ると、箱には魯山人と書いて記してあった。

まだ魯山人を名前しか知らなかった私は、半信半疑で店のスタッフに「これ、安くなりますか?」そう聞くと、スタッフは「ん~、四千円?」20%も値引きしててくれた。

幾らその時駆け出しの私でも、魯山人の花活けがそんな値段で売ってる訳が無いのは知っている。《贋物かぁ》そう思ったが、それでも何となく買ってみた。

箱だけでなく、中身の焼き物もずいぶんと見栄えがしたからである。良く判らないなりに、焼き物としての威力が感じられたし、何よりそれを私が欲しいと思ったから。

結論を言うと、それは本物で、黒田陶々庵でびっくりするような値段で売れた。

その時に魯山人の本物に出会えた私は、それ以来、魯山人に関しては明確に真贋が判る様になったのである。