骨董品買取の旅 島根編

骨董品の買取の旅を始めてもう20年以上になる。
全国各地いろいろな場所に行った。

かなり遠くにも行ったが、1日に800キロを一人で殆どノンストップで走ったのは、夏の盛りに島根県の造り酒屋に行った時だ。

500キロぐらいは一気に走れるが、800キロは流石にしんどかった。夜間走行の疲れで目は霞むし、腰は痛くて耐え切れない。その日のうちに島根のホテルに着かないと、車の中で寝なければいけなくなる。夜11時、眠くて堪らなくて、半分寝ながら運転していて、気付いたら高速道路の追い越し車線の真ん中で
停車して寝ていた。

危険極まりないが、PAで寝たら、きっとそのまま朝まで寝てしまうし、ホテルは12時までに着かないとチェックイン出来無いと言われている。
意識を朦朧とさせながら、なんとか日付が変わる前に浜田市のビジネスホテルに滑り込んだ。

翌朝、約束した造り酒屋を訪ねると、応接のソファーに社長がポツンと一人座っていた。その時の仕事は、管財人の弁護士さんからの依頼の仕事で、ご廃業された酒蔵に残っている古道具を買い取って欲しいという依頼だった。

歴史ある老舗の蔵を畳む社長の心中を察すると、胸が痛んだ。
社長は僕に力ない声で言った。
「もう管財整理も終わってるから、何にも無いよ」
社長は、言い終わって、大きな溜息をついた。
それでも酒蔵の他に、道具蔵が2つある。
早速、拝見すると、まあまあ、品物は残っていた。恐らく債権者と弁護士の先生には、埃まみれのごみ屑に見えたのだろう。でも僕が見たら、宝の山とは言えないけれど、充分商売になる骨董品的な物や掛軸や古道具がに残っていた。何より嬉しかったのは、弁護士の先生から、「もう管財整理が終わっているので、買える物が残っていたら、査定して社長に直接渡してあげてください」と言われていた事だ。

通常の管財整理の場合は、管財人の弁護士の先生が、換金性のある動産物の全てを管理して、現金化して、それを債権者に分配してしまうので、社長の手元には1円も入らない。

でも、その分配はもう終わっていて、法律的な債務処理は完了しているので、社長に現金を渡す事が出来るのだ。
こんな時は、渋っている訳にはいかない。1時間ほどして隈なく査定して僕の前に座った。
「何にも無かったでしょ?」
「いえ、結構ありましたよ」
「そう?幾らかでもなればいいよ。遠くから来たんだから、足代くらい儲けてね」
僕は、ひとつ深めの呼吸をして、社長に言った。
「160万円で見積もりさせていただきました」
「えっ・・・・」
一瞬、キョトンとした顔をしたあと、暫くじっと僕の目を見ていた。
僕も真っすぐに社長の目を見ていた。

そこには、僕と社長にしか判らない心の同期が間違いなく有ったと思う。どのくらいそうしていただろう。
気付いたら、社長は頭を深く下げて肩を震わせていた。

僕は、何もいい事をしたわけでは無い。160万円で買った品物は帰り道の京都のオークションで、すぐに260万円ほどで売却したのだ。
酷く当たり前の通常の仕事だ。

でも、その時の社長には160万円の現金は、嬉しかったのだろう。
盛業時には、恐らく億単位の売り上げを誇った酒蔵だっただろうに、
なんだかとても切なかった。

それから、僕は社長が買って来てくれた弁当を食べながら、いろいろな話をした。酒造りのエピソードや、廃業時の苦しかった話、奥さんや子供の話、これからの生活の話。

島根県の造り酒屋の午後の応接で、初対面の社長と話したあの時間を、16年たった今も僕は忘れない。

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