誰も真似のできない魯山人芸術

一言で陶芸作品と言っても。実に様々な種類がある。 大きく分けて、炻器、磁器、陶器。細かく分けたら日本国内だけでも数百の窯がある。 その中でも、ひと際異彩を放つのが魯山人である。 そもそも最初、魯山人は篆刻家であった。その前は書家だ。 魯山人の実父は、京都の上鴨神社の社家の家柄に生まれたが、魯山人の生まれる前に自害した。母は、生まれたばかりの魯山人を里子に出したが、その坂本の農家もあまりに貧しく 生活は困窮を極め、その後、魯山人は木版師福田武造の養子になる。 福田の家も貧しかったが、なんとか義務教育を終えた魯山人は、その後、漢方専門の薬屋に丁稚に入るが、三年で辞めて父の家業の木版師を手伝う。 その理由は、竹内栖鳳の絵に感動して、画家になる事を夢見たからである。そのため高額の日本画の岩絵の具の材料費欲しさに、〈一字書き〉という懸賞に応募して入賞した。書家魯山人の誕生である。 その後は、篆刻を生業として、美食に親しみ、それを盛り付ける器の審美眼を養い、遂には自分で焼き物を焼くに至る訳だが、恵まれない生い立ちや、生涯に於いて5度の結婚、数多の女性遍歴や自分の天才性に自己陶酔して、他者を認めずに、親しい人間すら度々罵倒した特異な性格は、世間の悪評を限りなく増幅させ、異常者とまで言わせしめた。しかし、その恵まれない生い立ちと、それに伴い養われた狂人とまで思える性格は、確実に魯山人芸術に影響を色濃く与えた事は間違いない事実だと思う。 誰も真似のできない。陶芸とは土をこねて成型して、釉薬を付けて焼くだけの単純な作業だ。同じような焼き物が出来ても不思議は無い。 でも魯山人の器は魯山人にしか出来ないのだ。 やはり芸術とは、不幸とか狂気とかいったマイナスのベクトルが有って初めて光を放つのかも知れない。

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