骨董屋の種類さまざま 《露天商4》

骨董品の店師の期待に応えるのは、結構大変な事で、そのころの僕には重圧と言っても良かった。
いやでもその重圧が有ったからこそ、毎週毎週、地方の土蔵から骨董品を買い出して来れたのだと思う。

しかし、いつでも必ず骨董品が集まる訳では無く、遠くまで行ってもどうしても集まらない事もあった。
そうゆう時は、胸が締め付けられるようなストレスを感じて、途方に暮れたものである。

何故だろう、僕は子供の頃から、人の期待に応えたい欲求が人一倍激しい。多分、幼少期の体験が影響しているのだと思う。

どうしても集まらない時は・・・・仕方がない、情けなかったが骨董市を休んだ。
でも、骨董市に出店していた2年間の間、仕入れが不調で骨董市を休んだのは、2回ほどだったと記憶しているので、随分頑張って日本中を回っていたのだと思う。

一度など、良く買ってくれる店師の人が困った顔で、
「実はさ、細川さん、今度ビッグサイトのイベントに出るんだけど、品物が集まらなくて困ってるんだ。近いうちに大きな蔵出しとか予定ないかな?」と言われて、そんな予定は全然無かったから、悩んだ末に(悩む事自体がおかしいのだが・・・・)仕方が無いので、知り合いの広島のウブ出し屋の所に夜行バスで行って、仕入れをして来た事がある。知り合いの店師は喜んだが、身体はクタクタになり、精神的にも疲れ果て、そのあと体調を崩した。

ともかく、2年間もの期間、よく骨董品を買い出したものである。自分でも感心する。
買い出したウブイ品物は、骨董市でよく売れた。売り上げ的には、毎回ほぼ30万円~40万円は売り上げた。これは、その頃の骨董市の売り上げとしては、恐らくトップレベルの売り上げだったと思う。月間120万円~150万円ほどの売り上げで、収入は50万円ほどか?まあまあ生活は出来る金額だった。

その頃の僕にとっては、それはとても幸せな事で、夢中になって、地方の蔵まわりと骨董市の出店をしたものである。

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