骨董品買取の旅 北陸編 その3

夜中に海岸べりの公共駐車場で寝ていると、夜間巡回のパトカーに
職務質問されたりする。

「コンコン」
僕は、窓を開ける。
「こんな時間に何してんの?」
「ただ、寝てるだけです」
「・・・・・・・」僕の車の荷台を、大きな懐中電灯でねめつけるように照らす。半分、寝ていたので、とても気分が悪い。

警官も、何が怪しいのか判らないけど、取り敢えず怪しんでおいた方がいいかなって雰囲気の怪しみ方だ。
「なんすっか?」
「いやね、こんなトコで寝てると夜中に暴走族に襲われてりするからさ・・・・まっ、気を付けてね」
パトカーは、ゆるい捨て台詞を吐いて行ってしまった。

その時の僕は、生きていく事だけで精一杯で、北陸の暴走族には何も怖さは感じなかったし、その時は雪こそ降っていなかったが、11月の終わりだ。日本海の初冬の寒さは、東京の真冬だ。暴走族なんて走れる温度じゃない。

なんか全てがどうでも良くなって、首から鎖骨の辺りがザワザワして、そのまま風に揺られて朝まで寝た。
翌日は、金沢市内の二口市場の近くの、城宝骨董市場に行った。

金沢では有名な市場だ。ウブ出し屋が大勢参加していて、旧家の蔵から出して来る骨董品は、どれも埃や蜘蛛の巣まみれで、嬉しくなる。
金沢は戦時中は連隊が5つも有ったのに、空襲の被害には殆ど合わなかったから、当時古い物は沢山残っていた。

骨董品や古道具は、勿論その地域に拠って特色が全然違い、金沢は典雅な品物が多い。蒔絵の漆器でも九谷焼でも、どれも絢爛な意匠のものばかりだ。連隊が5つ有ったので、軍隊の装備品や連隊内の売店で売っていたお土産の徳利やお猪口などは山ほど出て来る。
これらは、不思議と厳めしさは無く、可愛らしいイラストが描いて有ったりして当時の骨董市などでは人気商品だった。

関東の骨董市に持って行くと、横田や座間のベースの軍人さんがまとめて買って行った。聞くと、米軍のカーゴに乗せて本国に送ってしまえば、送料は掛からないし、アメリカの軍物オークションに出品すると10倍で売れたんだそうだ。そりゃまとめて買うな。

京都の市場はとことんクールで、東京から僕が行っても誰一人話し掛けるどころか、視界にも入って居ない様子で、殆ど透明人間のような気持ちに襲われるが、同じ古都の金沢なのに、城宝骨董市場では、皆がニコニコと話し掛けて来てくれた。とても人懐っこい。

「帰りに店に寄んなよ、お茶出すから、東京の話してよ」とか「泊まるなら、うちにどうぞ、夕飯は魚旨いの出すよ」などと言ってくれる骨董業者まで居て、とても楽しい会だった。

金沢は大好きな街だ。