人間国宝の私的考察・光と影

人間国宝に関する話・その悲劇と震動 人間国宝の作品と聞くと、まるで国宝級の工芸品であるかのように聴こえるが、意外と身近に幾らでもあるモノである。 特に陶芸の作品は、まだ人間国宝に認定される前は、作家が生活の為に結婚式の引き出物や 記念品用に同じものを沢山作っていたりしたので、その作家の地元に行けば一家に1点くらいのノリで天袋や物入に眠っている。 例えば、浜田庄司や島岡達三、井上萬二など。 人間国宝に認定されてからも、百貨店の外商と組んで量産したから、本当に沢山出て来る。 認定当時、百貨店の外商は「国家が認めた作家ですから、値下がるなんて事は、ぜぇぇぇぇぇぇっ~たい有り得ません。それどころか10年後には3倍いや5倍で売却可能です。なんたって、に・ん・げ・ん・国宝ですから」などと惹句を並べ立てて、茨城県や栃木県のお金持ちに乱売した。 勿論、人間国宝に認定されている陶芸家や工芸家の作品は、どれも素晴らしい力のある作品ばかりである。浜田庄司など益子焼の民芸品から生まれている焼き物だが、その力強さに 眼前に置き改めて見据えると惚れ惚れとする。胸が高鳴りさえする。 しかしながら、残念だけど、大量に売ったと言う事は、ある時期を過ぎると、市場にどんどん放出が始まる。遺品整理、家の建て替え・リフォーム、品物に対する興味の喪失など理由は幾らでもある。 元々、外商に勧められて購入した品物の場合、所有者の方に品物に対する思い入れは一層希薄だ。 「そろそろ、値上がりしているかな?最悪でも購入した金額では売れるかな」と思われる方が居ても不思議は無い。僕だってきっとそう思う。 しかし、現実はおおむね甘やかな夢を打ち砕き、冷水を情け容赦なく浴びせかける。 当時100万円で購入した壺が今では業者の売値が7万円だったりするから、買取り価格は推して知るべしだ。まあ4万円といった所か。それも本体も箱も無傷で、完璧な状態での話だ。箱に沁みや黴が浮いていたら、4万円ですら危うい。 とてもじゃ無いけど、恥ずかしくて100万円で購入したものを4万円ですと言って買取など出来ないから、僕は基本的には買わせて頂く事は遠慮して、お客様ご自身でオークションへの出品をお勧めしている。 勿論、量産した作品では無くて、作家がその年を代表する作品として渾身の注力で制作した代表作は別の話だ。 そういう品物は、購入する時も300万円とかするけれど、値段もそんなには落ちない。 さて、量産型の人間国宝とは別に、自分の熱情の奔流や内なる苦悶を作品に投影して、あらん限りの力を込めて、魂を乗り移す勢いで制作する人間国宝作家もいる。 板谷波山や河井寛次郎などだ。河井寛次郎は、生活で使える日常雑器に見える陶芸も沢山制作しているが、その力強さは歴然としていて、同じ民芸の作家とは格が違う。 板谷波山などは、資金不足で窯焚きの最中に木材が無くなったので、自宅の羽目板をどしどし剥がして窯温を下げなかったという逸話がある。まさに炎の芸術家だ。 当然、このタイプの人間国宝の作品は値段が落ちないばかりか、元々市場に出回っている作品点数が少ないので、値上がり傾向の作品すらある。 そんな作品に出会えた時は胸が震える。