骨董屋の種類さまざま 《露天商5》

骨董市は当時(18年前)は、首都圏の各地色々な神社で開催されていた。
元々は、骨董品屋の親分の竹日忠司さんが、ヨーロッパにあるような蚤の市を始めたいと
思い、仲間を集めて開催したのが始まりである。
東郷神社や川越成田不動が有名であるが、まずは町田の骨董市。

町田天満宮の骨董市は、毎月一日に開催されていた。町田の外れにある線路沿いの神社で
古久根さんが主催者だった。古久根さんは、苦労人で、子供の頃は父親の手伝いで、リヤカーを
押して行商の手伝いをして育ったという筋金入りの商人だ。

古久根さんは、アイディアマンで次々にイベントの企画などを考えては、実現していく実行力のある人で、若い骨董屋の面倒見が良く、骨董屋にしては珍しく尊敬に値する人物だった。

古久根さんには、本当に良くして貰った。2年間の様々な骨董市の出店を経て、露天商を卒業しようと思い、古久根さんに話に行った。

その日は、丁度古久根さんの武蔵五日市の店舗の開店祝いの日で、そんな日に止める話もどうかとも思ったが、だいぶ前からその話を古久根さんにしなければいけない事が心の重荷になっていた僕は、思い切って古久根さんの主催する町田天満宮と高幡不動の骨董市を辞める話を切り出した。

「ごめんなさい、古久根さん。実はそろそろ露店は卒業しようかと・・・・」
もじもじと、そう言う僕に、古久根さんは、
「そうかぁ~、それはいい事だね。骨董市はずっと出ててはいけないから。もっと大きな商売人になる人だから、時期的に丁度いいね」そう言ってくれた。

涙が滲んだ。2年間本当にお世話になった。骨董市に出店し始めたばかりの僕に、とてもいい場所を割り当ててくれたし、大量の同じデザインの琺瑯看板を売りあぐねて、秩父の古久根さんの家に持って行ったら80万円で買ってくれたし、一緒に草津のガラクタ蒐集家の倉庫から4トントラック満載の骨董品を引き上げてきた事も有る。

嗚呼、書きながら涙が出てくる。何も恩返しが出来ないままに古久根さんは天国に召されてしまった。あんないい人が、最後は苦しんでしんだらしい。
何一つ恩返しが出来なかった。ごめんなさい古久根さん。