骨董品買取りのチラシを配る その2
チラシ配りは、トレッキングみたいなものだ。むかし店の有った杉並区は、意外と坂道が多く、アップダウンが激しい。
それ以外にマンションのポストに買取りチラシを入れるのに、集合ポストでは効果が無いので、一軒一軒のドアポストに入れなければならなかった。20年も昔の事なので、エレベーターの無いマンションも有るし、エレベーターが有っても階段で一階ずつ昇りながらポスティングした方が早いので、結局、歩いて階段を昇る事になる。
12階建てのマンションとかになると、かなりシンドイ。
大きなマンションだと、ワンフロア―の距離も長い。それを一晩に5棟も6棟も配るから、かなりの歩数になる。
その頃店がを閉めるのが午後9時で、それから片付けてチラシを配り始めると10時~12時位、時には午前2時位まで配っている事もあった。夜中にチラシを配っているのって、かなり怪しい行為に映るみたいで、よく警邏中のパトカーに止められて職務質問された。
「夜中にチラシ配ってどうしたの~」
どうしたもこうしたも無い。夜中しか配る時間が無いのだ。
「どうもしませんよ」
「アルバイト?」
「いいえ自分の店のチラシです」
「えっ!経営者?」
警察官の頭の中には、店のオーナーが自分でチラシを撒くって常識が無いらしい。
「経営者が夜中にチラシポストに入れないでしょ」
そんな事は無い。みんな頑張って自分でチラシをポスティングしている。
「夜中にチラシ配る振りして下着泥棒してるのとかいるんだよねぇ」
どうやら下着泥棒と間違えられたらしい。情けない。涙が出てくる。
或いはこんな事も有った。12月のクリスマス前に僕は、夜10時位にポスティングをしていた。クリスマスは掻き入れ時だ。その頃は、アンティークに人形やミニチュアなども店頭に並べていたので、プレゼントに買っていただこうと必死に配布していた。
始めたばかりの店の経営は、かなり厳しかったのだ。
杉並区の久我山の辺りの豪邸のポストにチラシを入れた時に、その家の居間の風景が目に入った。広くて天上の高いリビングに暖炉まで有って、大きなシャンデリアが下がっていた。今まで見た事の無い大きなテレビも見えた。そこで家族が幸せそうにしている。孫は嬉しそうにお爺ちゃんの膝で笑っている。
気付いたら泣いていた。なんで泣いていたのか判らないが、涙はとめどなく流れた。きっと自分の置かれた状況との落差が悲しかったんだろう。上手くいかない店の経営、家には生まれて4カ月の赤ん坊と家内。もちろん家内は毎日心労でイライラしている。
僕は、泣きながら深い溜息をついた。
その時、思った。
〈これじゃまるでマッチ売りの少女だ!〉
本当にその時、僕にはマッチ売りの少女の気持ちが痛いほど判った。
あれは、同じ状況に置かれた人間にしか判らない。
その後も涙は止まらず、僕は泣きながらチラシをポスティングしたのを覚えている。