骨董屋の種類さまざま 《ハタ師5》

次に紹介するハタ師は、北海道のハタ師で、全国を隈なく回って商売している骨董屋で、名前は誰も知りません。
勿論、骨董品市場の人は、古物許可証を見てるので、知っていると思いますが、骨董品市場に来ている客の間では《サッポロさん》という通り名で呼ばれていました。

骨董品屋の中にはたまに本当の名前を隠したがる人がいます。理由は様々でしょうが、なにか知られたくない過去が有るのかも知れません。
そのサッポロさんとは、富山の木工屋の二階で開かれていた市場で知り合いました。

サッポロさんは、初対面の僕にいきなり「あのさぁ、これ君の名前で売ってくんないかなぁ」僕に古い映画のポスターを手渡しました。
その日、僕は市場での売り順が良かったのです。たしか2番目だったと思います。

ガラクタの多い市場では、早く売った方が高く売れる傾向に有ります。それは、早い方が場の空気が緊張していますし(後の方になると業者も疲れてダレて来る)、懐の仕入れ資金もまだ豊富だからです。
別の僕は構わなかったので、預かって売ってあげました。

しかし、どうでもいい売りっぱなしの品だと思っていたポスターが、ハタ師のサッポロさんには、厳密なコスト管理をしている商品みたいで、折角みんなが声を出してくれているのに、《それでは売るな》と僕にサインを送って来るのです。

それでは、まるで僕がせこくポスターの値段を引き上げているように思われてしまうでは有りませんか。
実は、サッポロさんは、その市場では、みんなに嫌われているみたいで、確かにこれでは嫌われてしまうのも無理も有りません。

終わってから、お金をサッポロさんに渡す時でも、とくに《ありがとう》とかの言葉も無かったのでした。
少しだけムッとしましたが、まあ、市場なんてそもそもこんなもんです。
しかし、市場の終わり際に、札幌さんは僕の側に寄って来て言ったのです。

「あのさ、出来るだけ動いた方がいいよ、日本中どこでもさ。たとえ損してもいいから動き回って、仕入れして、売ってを繰り返した方が絶対に最後には得するから」
そう言って、また別の土地へと去って行ったのでした。

しかし、このサッポロさんの言葉は、僕の中でそれから長い間金言になりました。
その後の僕が全国を動き回って商売をしたのは、まさにその時のサッポロさんの言葉が有ったからなのです。