骨董屋の種類さまざま 《ハタ師3》

僕が大変世話になった骨董屋さんで、Rさんという方が居ました。Rさんは、幾つもの骨董イベントを主催したり、骨董オークションも主催したりと、昔からダンプカーのような勢いで仕事をする人でした。

若い頃から苦労を重ねてきた人で、当時まだ駆け出しだった僕達ヒヨコの骨董屋にとても親切にしてくれました。

今思い返しても、Rさんのお陰で今日まで何とかやって来れた気がします。
Rさんは、昔からの排他的な骨董屋を嫌い、骨董界に染まらないようにと、僕達にいつも言っていたものです。

Rさんは、市政や神社や商店街や危ない世界などいろいろな人達に顔が利き、どんなイベントの企画も立ちどころにまとめて、実現してしまうとても力のある人でした。

そのRさんが、究極のハタをした事があります。
中国製の陶磁器を東京の有名オークションに出品して3千万円で落札されたのですが、それは元々Rさんが色々なイベントで最初は20万円、後に15万円の価格を付けて持ち歩いたのに、売れなかった陶磁器です。あるイベントに僕が遊びに行って、Rさんのブースに立ち寄った時の事です。

Rさんは僕にその後に3千万円で落札される陶磁器を指差して「あれさ、20万円は高いかな?」と聞いてきたので「多分、京橋辺りの店師なら、箔と蘊蓄をつけてその位で売りそうですけど、イベントじゃ難しそうですね。シンワで去年似たようなのが落札されましたけど、エスティメイトは10で、ハンマーは15でしたから・・・」
「そっかぁ・・・」

暫く、じっと考えていたRさんでしたが、おもむろにサインペンと白紙のプライスカードを取り出して《15万円》に値段を書き換え、僕の方を見て、いつもの人懐っこい笑顔でニタッと笑いました。

「Rさん、それ仕入れは幾らなんですか?」
「これ?判らないよ、倉庫整理してたら出て来たんだ。多分、昔どっかの市場で他の物とごちゃごちゃ落札して来て、そのまま倉庫に突っ込んであったんじゃないかな?」
まあ、要するに、大した値段で落札したわけじゃ無いから、Rさんにとっては、幾らでもいいという事だったんだと思います。

その陶磁器が数年後に、東京の有名オークションで3千万円で売れたのです。
僕も仰天しました。それも、後で聞いた話だと、日本の羽振りのいい骨董屋と中国人ディーラーが競ったらしいのですが、二人ともその陶磁器の時代を踏み間違えていたみたいで、相手が降りないものだから「きっとイケるだろう」と、お互いを牽制して白熱して競り上がってしまったようなのです。

最後は日本人の骨董屋が落札したのですが、大きく損をしたのは言うまでも有りません。
僕もが知る限りでは、これが一番すごいハタ行為です。
流石、Rさん。文字通り器がデカい。

そのRさんも、10年前に膵臓癌で亡くなりました。
まだ54歳でした。お通夜には500人からの骨董屋が参列しました。僕も涙が止まりませんでした。