神社の骨董市について(2)

骨董市の出店は、兎に角朝が早いです。 当時の(20年ほど前の)殆どの骨董市は、午前4時位までには 到着していなといけませんでした。(町田の天満宮などは、午前2時までには着いていました) 特に私は何処の骨董市でも新米だったので、神社の一番奥のスペースを割り当てられていました。到着が遅れると、他の業者が品物を並べ始めてしまい、車をその場所まで入れられ無くなってしまうのです。そうなると、何十メートルもの距離を手で運ばなければならなくなるので、時間は厳守でした。 品物を降ろすやいなや、まだ暗い内から他の業者やコレクターが懐中電灯を片手に掘り出し物を探しに来ます。 特に私は、地方の旧家から骨董品を直接仕入れして、そのままロクに見ないで骨董市に持って来ていたので、いわゆる《うぶい》荷物だったようで、品物に人気がありました。 最初は値段も判らなかったので、適当に言っていたのですが、それはきっと激安な価格だったみたいで、主だったものは明るくなるまでには売れてしまい、あとは昼頃までのんびり残った品物を《どれでも1000円》みたいな売り方で捌いて、帰りはいつも空荷で帰ったものです。 私は、その時々で蔵から出たモノを広げて販売していましたが、他の半分くらいの業者は品物にそれぞれに特色があり、腕時計、焼き物、古書、着物、おもちゃなどの専門露店商でした。 そういう業者さんが、私の品物の中から、自分の得意分野の品物を仕入れ、小奇麗にして自分のブースで販売していたものです。 かなり大雑把な商売ですね。 骨董市でお世話になった人に古久根さんという骨董屋さんがいました。古久根さんは、町田天満宮と高幡不動の骨董市の主催者で、誰にでも親切でしたが、特に若い始めたばかりの業者にお面倒見が良くて、私も随分と良くして頂きました。 本来は順番を何年も待たねばならない川越の骨董市にも、古久根さんの一言ですんなり入れて頂いたりしたものです。 その古久根さんも54歳の若さで10年以上前に病気で亡くなりました。 お葬式には数百人の同業者が駆け付けて、古久根さんの生前の人望が偲ばれました。 思うと、私も古久根さんが亡くなった年齢をとうに過ぎてしまったんだなぁと思うと、感傷的になります。